物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

ベターハーフ

9割方 理想の相手というのは ベターハーフなのだろうか
たぶん きっと おそらく そうなのだろう
と 自分が言う

もともとひとつだったものが ふたつになって
この世で出会って ひとつになるベターハーフ

「この先これ以上 自分に合ってる人は他に見つからないと思う」 と
数年前に彼は言った

そのとき私には その本当の意味がわからなかった
なぜなら そのときの私には 彼が自分に合っているとは思えなかったからだ

それから何度も摩擦や衝突があり
私はまるで 男の子を1人育てているみたいな気苦労を味わったあげく
まったく予期しなかった結末のように 彼はずいぶんと変わった
同時に わたしたちの関係もずいぶんと柔らかく温かく丸いものに磨き上げられた

そして近頃では
子供の頃から私が理想としていた とても居心地の良い関係を共有できる相手になっている

たぶん
おそらく

きっと 彼が ベターハーフなのだろう

かもしれない

—————————————–異聞

http://www.jttk.zaq.ne.jp/t_nakamura/better.html

ベターハーフ

英語に、ベターハーフ・・・BETTER HALF という言葉があります。

何故 ハーフ HALF 半分なのでしょう?

そう言えば日本語にも、伴侶という言葉があり、伴は人偏に半故やはり半分?

原始時代の人間の性には3種あった。即ち男性、女性、男女性があった。
太陽から男性が、地球から女性が、月から男女の両性を備えた性が生まれた。
彼等は親に似て球状で、背が球状の体を縦に一周しており、その横が脇腹であった。
それに4本の手と4本の脚、丸い首の上には同じ形の顔を2つ持っていた。
それに4つの耳があり、秘所が2つあった。

彼等は直立で歩く事も出来たが、急ぐ場合など8つの手足に支えられ、トンボ返りで輪を描きながら
迅速に転がって前進した。
斯くて彼等は恐ろしい力と強さを持ち、その気位の高さも非常なものがあった。
今や彼等は神々に挑戦するに至り、天に昇らんと企てた。

そこでゼウスと他の神々は彼等に対し如何なる態度をとるべきか協議した。
稲妻を以て全人類を撲滅することは容易いが、人間が彼等に捧げていた礼拝も犠牲も失う事を考えると
この策はとれなかった。
両断して2本脚で歩かせようと考えた。
こうすれば人間は弱くなり、しかも数が増えるので神々にとって礼拝と犠牲が増える結果にもなる。
それでも尚冒涜が続くなら、更にもう一度人間を両断して1本脚でピョンピョン飛びながら歩かせよう
とも考えた。

先ずゼウスは人間を真二つに両断した。そして一人切るごとにアポロンに命じて顔と半分の首を切断面
の方へ向けさせた。
更にアポロンは胸部を作り、四方八方から皮を腹の真ん中へ引き寄せそこで締めくくった。
これが現に臍と呼ばれているものである。

人間の原形が斯両断されてこの方、何れの半身も他の半身に憧れて再び一緒になろうとした。
しかし彼等は秘所を外側に持っていたので互いに内に懐胎させたり、産んだり出来ず滅びて行ったので
ある。

ゼウスはこれを憐れんで、秘所を前に置き換えた。
結果男性が女性の内に懐胎させることが出来るようになった。

かくして人間は各々が半身に過ぎず、不断に自分の半身を求める事になった。
かっての男女性の男達は皆女好きであり、女達も叉同様男好きである。
然るにかっての女性の女達は全て男にはまるで興味なく、女ばかりに心を寄せる。
同性愛者もこの種族から出る。
叉かっての男性の男達も然り、何れも男の半身を追いかける。そして少年である間は成年男子を愛し、
一緒に抱擁しあったりする。
世間には往々にして彼等を無恥と言う者もあるが、それは当らない。むしろ大胆と勇気と男らしさとであるからである。・・・・・

以上はギリシアの思想家プラトニックラブのプラトンの”饗宴”という本(日本語に訳された本)の一部の要約です。
BETTER HALF のルーツはこれなのでしょうか?

饗宴は紀元前383~385年頃書かれたもので、愛の神エロスを賛美し、愛とは何かを論じたものです。
プラトンは自らは登場せず、ソクラテス等登場人物に語らせる間接話法をとり、論理的、哲学的で私には難解な部分もあります。

一方日本の古事記が書かれたのは、饗宴より千年後の7~8世紀ですが、系譜は矛盾だらけで、各説話もバラバラで半分以上意味不明らしい。

日本語の伴侶のルーツは何処にあるのでしょうか?

RSS 2.0 | Trackback | Comment

Comments are closed.