物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

もう2月が終わるじゃないか。。。

なんかなあ。。。
この分だとあっという間に年末になりそうに思えてくる。。。

12月22日:誕生日。ジャックダニエルで祝う。残りを長女に奪われそうになるw。
12月23日:途中は雪道で普段より速度が落ちると予想して、余裕をもって夜10時頃、関くんを乗せて新潟に向けて出発。月夜野手前から早々と雪模様。新潟県内は完全に雪道走行。途中3カ所でトラックが横向いてスタックしてた。
12月24日:10時30分出港。まずは風呂だ。関くんもまずは風呂だ。男湯の一番風呂はトラックの運ちゃんで混雑すると聞いていたけど、今回はそれほどでもなかったもよう。喫茶コーナーで待ち合わせ、風呂上がりのビールでクリスマスの乾杯。その後、私は自分の2等寝台へ。関くんはノートPCで仕事を始めたが、2時間ほどして2等寝台へ戻ってきた。彼は船酔いしやすい質で、どうしてもやや下向きになるから気持ち悪くなるらしい。
12月25日:小樽港からまっすぐ札幌の家へ。
関くんは設計の仕事を抱えてきていたから、1日の大半はノートPCに向かいっぱなしだったけど、合間に声かけてもろもろの懸案を片付けてもらった。1月11日までの約2週間のうちに、雪の晴れ間をみては、さいたまのマンション玄関で使っていたデジタルキーを取り付けてもらったり、離れからとっていたセンサー付きライトの外電源を母屋から引き直してもらったり、居間にBOSEスピーカーを取り付けてもらったり。
たいがいのことはこなしてくれる。
便利な人がいたものだと、関心する。
そのお礼に、年越し料理やおせちにお酒、魚や刺身など、北海道の味でもてなした。

関くんが帰ったのと入れ違いのように、1月16日からは弟がやってきた。
約8日間のうちに、母のホームに行ったり、祖父母や父が眠る寺参りに行ったり、実家のリフォームの相談もした。

父が他界して母がホームに入った頃から、実家をどうするかは懸案のひとつだったけど、私も弟も隠居にはまだ早い中途半端な年代のせいか、なかなか結論がでないままだった。
私は、夏には銭函あたりのログハウス展示場にふらりと立ち寄ったこともある。
いっそ建て替えようか、でも新築しても、将来私の娘のどちらかが使うならともかく、今からじゃ予定も立たないから、全くの私の道楽になる。そういうお金の使い方をしていいんだろうか?・・・とか。

で今回、弟と家の話になって、二人ともどうせこの先、生きたってせいぜい30年だから新築することもない、売るよりはリフォームだな、と弟がやけに気軽に前向きな発言をしたので、幼なじみのこうちゃんの関連会社に見積もりをお願いした。

弟が帰ったあと、ふっと空いた時間にやっと自分自身のことを考える。
ほったかしだったネット銀行で眠っていた15万を、生きてる口座に移し替えた。そのまま忘れちゃって、政府にもっていかれるなんて厭だからw
去年春に札幌市から送られてきたものの、道外に出る機会が多くて予約の見通しが立たなかった健康診断とマンモグラフィ無料検診。ずっと心にひっかかっていたのを、やっと検討する。
で考えた結果、市の検診が内容の割に面倒に感じ、いっそ北海道対ガン協会というところの人間ドックを受けるかと、すぐに電話で予約して20日に受診した。平日29000円はとても安い。同じ内容で4年前にさいたま市の病院では55000円した。

そして今日。
23日も終わるじゃないか。
残る雑用は、特許関係の書類提出と、確定申告。
去年までは映子くんのも一緒に作成したので3人分だった。
今年は彼女、ネット環境もプリンタもそろったんだから1人でできるはずと思っていたが、ある夜メールがきて「途中から進めません」らしい。「じゃあ、うちにおいで」といったら領収書や源泉持参でやってきて、早々と書類を作成して晴れ晴れとした顔で帰って行った。
残るは、私と母の分。  うーーーー。。。。

今年もツェルマットに滑りにいけなかったじゃないか。。。。
なんというか 不思議だ。
アラスカやスイスに滑りに行ってた頃って、今よりずっと貧しかったんだよね。。。
貧しかったけど自由になる時間があったから行けたんだよね。
時間を作る。。。。。拘束される仕事を減らす。。。。それしかないか。

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