物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

神戸の道は難しい

台風が過ぎ去った直後、9月7日に日付が変わった深夜、フェリーは約3時間遅れで小樽港を出港した。フェリーでの最大の楽しみの風呂は、まだ多少の揺れがあるからとCLOSE。舞鶴港入港の2,3時間前になってやっと開いた。
舞鶴には3時間遅れのまま、8日深夜に入港。
新日本海フェリーはこれまで幾度となく利用してきたが、舞鶴は初めてだったから、どんな港なのだろうと楽しみだったのだが、港の灯りも減った真っ暗な中をCR-Zで走行する羽目になる。
走り始めてすぐに、海上自衛隊基地の前を通りかかった。道路の反対側には軍艦がゆるゆると波に揺られながら眠っている。これが昼間だったなら。。。とても楽しみだったのに。しかも数年前なら、知人を訪ねて中をみることができたかもしれず。
舞鶴に長居する用もないまま、初めての道をCR-Zでひたすら南下。途中、丹波を通り抜ける。ここらも昼間ならいい景色だろうに。
途中で少し時間調整をして、夜明け前に京都を抜けた。途中、ちょうど某自動車工場の交代時刻だったらしく、正門から若目の男性が乗ったバイクがばらばらと出てきて、それぞれの家路についていった。
朝7時頃に奈良のファミレスで弟と朝食。その後、弟のアパートへ。その日は弟に関する用事を済ませて、ゆっくり骨休めをしつつ、関西の空気に身体を慣らす。

翌9日、奈良から神戸の知人宅へ。奈良から大阪、岸和田方面へは、3年ほど前に仕事で何度も通ったから、時間も読めるし走り慣れた道だったが、神戸の市街地は初めてで、いやあ、カーナビがあったのになかなか手強い。行きたい道へ行けない交差点がある。車線はあるのだが、その車線に乗るのが難しい。事故したくないから交通標識に従うと、行きたい方向と真逆へ走行する結果になったり、六甲アイランドなんかに行っちゃったりしたり。同じ道を2度走ってしまったから、知人宅へ到着するまでのルートは頭にしみついてしまったw。
その夜は知人宅でお泊まり。翌10日朝に弟のアパートへ帰る。奈良神戸間は、それほどの距離でもないのだとわかった。

11日、田辺へ。
この往路で、小樽を出る時に満タンにして以来初めて給油。燃費もずいぶん良く、最高22Km/Lくらいまで行った。これは、スタートすると音声で流れるCR-Zのシステムによる計算ではなく、自分の給油メモによるもの。上り下りがある札樽間ではせいぜい18Km/Lだというのに。
そしてこの日のうちに、舞鶴上陸から1000Km走行を突破した。
夕日が海に傾く頃に田辺を出発、夜には奈良へ戻るが、それにしてもこの往復ではさすがに「走った」という感じがした。ちなみに、奈良は広い通りから住宅街に入ると道がやたら狭くなる。歴史のなごりか。

そして12日に奈良から埼玉へ移動。
21日まで関東で用事をこなし、22深夜にいつもの新潟港まで走り、午前10時半の小樽行きのフェリーに乗る。
23日早朝小樽に入港。札幌の家で少し落ち着いたあと、昼前に小樽へ走り、母の顔をみる。

今回の旅は2週間ちょっとだったけど、走行距離はかなりでしたね。
しばらく遠出は要らないって気分だ。さすがに。

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