物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

三者会談

長女と彼氏の3人で夕食しながらお話をした。
2人でさいたまのマンションに住みたいという。
彼らの通勤には、わりと便利な場所だそうだ。
少し前までは、そのうち不動産を少しずつ処分して老後の資金を増やそうか、
それとも持参金にしてもう一度嫁に行ってやろうかなんても考えたけれど、
お泊まり用に私のベッドを確保しておいてくれるなら、今からでもいいか、と考えた。
今後2年のうちに、私の拠点を札幌に移して、さいたまは長女に預けるのもいいかもしれない。
ゆくゆくは仕事を任せることでもあるし。
老いてきた母のこともあるし。もう86だ。
できれば小樽・札幌に居る時間を増やして、母が生きていてまともに会話できる今のうちに、出来る限りたくさん話をする時間を作りたいと思っていたから。

母がアルツハイマー型認知症と診断されてから4年を過ぎた。
たぶんその前から気配はあったのだろうけれど、しっかりした父と2人暮らしだったから、歳は取っても二人とも健康だと油断していた。
「なにかおかしい」と感じたのは、父が癌の疑いで札幌医大病院に入院すると連絡があり、私が小樽の家になるべく居られるよう仕事を手持ちに準備して車で帰省し、母を乗せて毎日のように見舞いに通っていた頃だ。母はたまに、自分でもおかしいと言うことがあった。自覚症状はあったらしい。
2006年の初夏だから、もうすぐ5年になるが、相変わらず口は達者だ。
たまに昔からのご近所につれていくと、立派に挨拶して昔話をするし、知らない人には認知症とは思われないほどの会話をする。
積丹あたりまでならドライブにも連れていけるし、雪道も注意しながらゆっくりとだが、ちゃんと歩いてレストランや買い物を楽しむことができる。
フェリーと車なら、また、さいたまに連れてくることもできそうだ。
あと何年、そんな風でいてくれるだろう。
今年の冬の帰省で、近くの郵便局に行ったら、いつものように奥から局長さんが四方山話に出てきて、ご自分のお父さんが認知症になったことを告げてきた。
「いやあ、、、うちの親父がなっちゃいましてねぇ、、、入院しているんですよ。数ヶ月の間にあっという間に進んじゃって、見舞いに行っても誰かもわからない様子だから、そんなだと張り合い無くて足が遠のいちゃいますよねぇ。。。」
局長さんは母の教え子なので、母がどんな風に老いてきたかも見ている人だ。
「のと先生は症状変わりませんねえ、薬が合っていたんでしょうねえ」
たしかにそうかもしれない。
これまでは母の状態が一般的に思えていたが、ふりかえるとホームの他の認知症の人たちと比べても、母はやけにしっかりしている。
市内でも一番評判の良い脳神経外科のえちぜんや先生に最初から診てもらっているのだが、特に変化無し、進行もしていないといわれている。
ありがたいことなのだ。

歯が丈夫で堅い物好きだからせんべいを差し入れたり(噛むことは良いらしい)、怪我や病気に気をつけ、一人暮らしにしない、誰か会話する相手がいる、アルバムを見たり懐かしい場所に連れ出して、昔のことを思い出すような話をする、そういう環境作りに努めてきたけれど、もし自分も老いてきたら、認知症にならないためにもそんなささいに思える事が大切かもしれないと感じる。

長女にさいたまを譲ったら、しばらくは邪魔をしないようにはするけれど、
もしも孫ができたらベビーシッターのお役目が回ってくるのだろうか。
ぼけ防止にいいかもしれないw

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