物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

運転しながら考えたこと

助手席に誰もいないと、いろんな事を考える。
特に、国道5号線の 銭函あたりから小樽までの、信号が滅多に無くてカーブが多い区間を走ると、いろんな考えが浮かんでくる。

--------------------以下 妄想
それにしても、車ってスキーに似てるよね。
そもそも運動力学的に類似しているのか、カーブとターンの要領も似ているし、足回りやグリップの大切さも似ている。

そして、インテグラはスラロームの板に似ている。中でも、ロシニョールのような軽めの板に乗るのと似ているし、兄弟車といわれるプレリュードは大回転の板か、サロモンのような若干重ための板を操る感覚に似ている。4WSだから、小回りでの感覚はとてもシャープなんだけど。

排気量が大きいせいか、内装のラグジュアリー感からか、プレリュードに乗り換えてからは峠道を走りに行くことがほとんど無くなったよね。
代わりに、高速道路のカーブでは、インテグラよりプレリュードの方が安定感が得られる。このあたりもスキー板の特性に似ているし。スラロームの板での高速の大回りは若干不安定になるから。

そして、CR-Zは、インテグラよりさらに回転性能が高いよね。
カービングがきつく、ちょっとのきっかけでクルクルよく回る。いわばモーグル用の板みたいだ。
これは まずいかもしれない。
ふと気が向くと まじめに走ってしまいそうだ。
まじめにというのは、 本気でというか 真剣にというか、ただただ走ることを楽しんでいたときのように走ってしまうかもしれない ということだ。
しかも インテグラよりもさらによく回るので いい歳してまたお茶目に走ってしまうかもしれない。
もちろん1人の時に限るし、まあ 歳が歳なので 危険なことはしないはず。

そうえいば以前、T氏が「どんな車に乗っても運転の本質は変わらない」といったっけ。
あれはどういう意味なのだろう。
ある程度の車好きならば、車の特性によって運転方法を変えるものではないだろうか。
あるいは、「運転の本質」とは、注意力とか判断力とか、ひいては安全意識とか、もっと根源的な能力や意識のことなのだろうか。
軽トラックとスポーツクーペで、全く同じように運転する人がいたとしたら、それはあまりに車の特性を無視した暴挙だ。安全性も無視している。

でもね。たまにみかけますね。
車高の高いワンボックスでカーブを高速でまわっていくとか、4tトラックで右へ左へ縫うように追い越ししていくとか、 ああいうの、どうなんでしょう。
私もたまに、軽トラックやワンボックスのレンタカーで荷物を運ぶことがありますが、そういう車の場合はそれなりの運転を心がけているつもりだけど。

やはりどんな道具も その特性にあった扱い方をしなくては。

インテグラがSLで、プレリュードがGSLで、CR-Zがモーグルだとして、
では、旧MINIは 何だろう?
板は ヒッコリーの単板とまではいかないが、グラスファイバーが出始めの頃の合板で、決してメタルではない。手を真上に伸ばした指先当たりまでの長さがあって、エッジは継ぎ目のあるタイプ。
小賀坂とかカザマとか日本メーカーの板じゃないな。当時、輸入板は高かったっけ。
ビンディングは往年の名器ホープマーカーあたりか。(LOOKネバダでは決して無い)。ゲージがあれば自分で穴あけて取付できた。シューズはカベールあたりの初期のケミカルシューズ、ストックは自分で切って長さを微調整できたタイプ、という組み合わせに似た操作感かもしれない。

日本のスキーメーカーも昔は群雄割拠していたけど、今ではだいぶ減ったよね。。。
なんでもやってるYAMAHAは いわばトヨタか?

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と、こんなふうに、いろんなことを考えながら運転するのでありました。

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