物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

昔の日記を読み返す

その存在を忘れかけていた むかしむかしの パソコン日記

久しぶりに自分のプロフィールを書き換えようとして リンクをクリックして掘り起こしてしまった

1996年からの HTMLで書いた日記 14年も前のことじゃないか

いったい自分は何をやっていたんだろう と最初から読んでみた

写真の自分はまだ若くて ちょっとは綺麗だった 懐かしい

PCもいっぱい組み立てて 仕事の事もいっぱい書いている。はっきり思い出すこともあれば そんな取材行ったっけ? そんな原稿書いたんだ。。。へえ と、ほとんど思い出せないこともある。忙しさに流されていたんだね 自分。

そんな中 当時の自分の心を隠している表現がある。

30代に 初めて会った時から憧れた人がいて。

でもその人は 私とはちょっと違う世界の存在で

私の離婚とすれ違うように妻帯して 遠いところへ赴任していった。

それから1年ほどして 私は仕事で知り合った7つ上の人と 引きずられるように数年間交際をした。自分の中では ちょっと違うと感じながら、不謹慎なのだが、まるで「空席の中では一番上等で自分に向いているから腰掛けた」みたいな気持ちの交際だった。だから、心はいつも生ぬるかった。

生ぬるい心を私はしばしば持て余し まるで天からの糸にすがるように 憧れの人との淡いやりとりで本当の自分の心を取り戻し昇華していた。

その人のことを私は日記の中で 傍目をはばかって「一番大切な友人」と書いている。

一番大切な友人。。。友の字を足して心を隠している。

一番大切な人だから そっとしておいた方が良い 遠くから見ている方が良い そんな臆病な片思いが 友の字を書き入れた。(まるで 星のフラメンコ だ)

何年かしてその人が戻ってきたころには 私の生ぬるい交際は当然のように終わっていて 車と仕事だけに没頭していた。

嬉しいことに その人との交流は絶えることなく続いてきたけれど 私はすっかり歳をとってしまった。

そしてその人も独り身になったけれど 何か変わったということもない。

若いうちに何度かあったように思えるチャンスを

古めかしい倫理感にとらわれず積極的に生かしておけばよかったのかな と

たまに後悔しないこともないけれど

過ぎてしまった昔は取りもどせるわけもなく

昔と変わらない憧れを抱いたまま おばあさんは 臆病な片思いの心を楽しんでいる。

心はまだ乙女

【陰の声】

というより、踏み出した後の結果が見えているからでしょ? 観賞用の魚は褒め称えて眺めるのがいい、料理しても食えないし。美味い魚ってのは、えてして見かけが良くなかったりする。

 

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