物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

旅の計画

仕事でも旅行でも「事前準備」ってものを欠かさない
「スケジュール」も含めて「なるべく早めに予定を組む」ということが欠かせない
もちろん突発の用件にも対応するが それはあくまでも 組んだ予定の中に後から組み込むコマであるから 全てが行き当たりばったりという生活の連続には とうてい耐えられない

子供の頃からそんな性格だったわけじゃない
学生時代でも 今とはまるで正反対の いい加減でもホイホイ対応できような 液体のような順応性だったつもりだが いつのまにか
たぶん 自営業になってからか
責任を果たすことを重視するうちに 準備だの予定だのをしっかりと組む習性が 自分の中に根付いてしまったみたいだ
まあ 無駄な動きで生じたロスを取り戻すだけの若さが無くなっているのだ
事前計画で減るロスならば 極力減らさねば

大げさな言い方をすると
人生 においてもそうだ
目的地についた時や 旅の途中で たまに立ち止まって わりと遠くを見据えて
次はあそこまで何日間で歩いて行くには どうルートをとって と計画的に進んでいくような
そんな連続が自分の人生の進め方だ

だから
父が他界して 母がホームに入って
家中が滅多に使わない部屋ばかりになって
家族として50年間暮らすうちに積もった家財や品物が溢れている状態をみてしまったら
これで自分が死んだらどうなるんだろう って思った

父のスキー連盟関係の書類の中には、歴史的に貴重な文書もある
葬儀の前日に、連盟の某氏が心配の余り「のと先生の荷物を整理する際には捨てないようにお願いします。なんでしたら私がやります」と電話をしてきたくらいだ
私も連盟人だし、幼い頃から父のスキー関係書類は目にしてきたから どのようなものが貴重かの判別はできるつもりだが、弟ではどうにもできないまま 捨てるか家ごと壊すしかないだろう
私の2人の娘たちにしてもそうだ
母が集めた**先生の油絵でさえ ばーちゃんが描いたんだろう くらいに扱いかねない
3人に問いかけると やはりそのような応えが返ってきた
弟は 父の大工道具や庭の作業小屋だけでさえ「あの道具どうするんだ、父さん」と天に向かって苦笑いした
娘に至っては「ママが死ぬまでに全部なんとかして ママの分も」だ

そうだ   私が死ぬまでに
この家と中の物をなんとか始末しなくてはならない・・・
愚にも付かない物が殆どだが 中に紛れている少しは価値のある物に対して それなりの処分をしなくてはならない。。。
加えて「ママの分も」
自分自身の人生の後始末も しっかりと片づけてから死なないと
娘たちが困惑するのだ 今の弟と私のように

ものすごい宿題を出された気分になった

目をつぶって捨ててしまえば簡単だ
だが 中身が何なのかが判る者には それが出来ない

自分があと何年生きるのか判らないが
体調が最悪だった去年は 65くらいまでかなあ なんて予想したりもしたが
真面目に体調ケアを始めた今の健康状態なら
大きなアクシデントが無ければ 80近くまでは大丈夫みたいに思えてきた

あと25年 と仮定して
5~10年で 小樽の家と 中の荷物の整理をして
65歳からは 仕事も含めて自分の人生の後始末を意識しながら
少しずつ 余分な荷物を減らしつつ
70になったら 本当に使っていきたいものだけを身の回りに置いて暮らす
そんな旅の計画で まあ いいかな

決まったところで さあ 目標に向かって GOだ

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