物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

懐中時計

少し前に、小学生の時に鳩時計を買ってもらった事を書きましたが、それで思い出したのが、懐中時計。
中学生になったかならないかの頃、祖母が懐かしい持ち物を整理しているのを横からのぞき込んでいて、ふと目についたのが懐中時計。
「これ、おばあちゃんの?」
「そうだよ。でも壊れていて動かん」
「じゃあ、死んだらちょうだいね」
子供の頃は、欲しい物は「死んだらちょうだい」でした。
「こんなもん好きか?」
「うん」
「じゃあ、今やるわ」
と手渡され、動かない懐中時計を大事に大事にしまい、たまに出して眺めて楽しんでいました。動かなくても、アクセサリにしても素敵じゃないかという感覚でした。

高校生になった時、母が「新しい腕時計買ってやる」といいました。
そのときしていたので十分だったけど、それなりの高校に危なげなく合格したのでご褒美のつもりだったのかもしれません。それに、私と反対で、母は次々と新しい物を買うのが好きでした。
で、行きつけの時計屋さんに行きました。
どれがいいか選べといわれ、ショーケースをのぞき込んでいると、母の懐をよく把握しているらしい店主は「今はこれが流行で」とか「このくらいのを買っておけば大人になっても」とか、笑顔で勧めてきます。
でも、どれも魅力がない。
で、ふと目についたのが「懐中時計」。
本当は、祖母がくれたようなアンティークタイプのが好きなんだけど、そこにはSEIKOのステンレス製の新品が1つだけありました。
「これが欲しい」というと、店主はやや落胆した顔。おすすめ品よりかなり安かったからw。
「手巻きだし、防水じゃないですよ?」
「うん、いいです。大事にするから」
そんなに欲しいならと、母はその懐中時計を買ってくれました。

大学生になっても、卒業しても、それを使っていました。
とにかく腕時計には興味なくて、たまに母が「文字盤がダイヤなんだ」と、自分が飽きたお洒落時計をくれたりしたけど、必要なときはそれで間に合っていましたし。
祖母がくれた壊れた懐中時計も、布にくるんで針箱にしまってありました。

そして年月が経ち、40代も半ばになって、ブランド時計好きな関くんのお供で彼の行きつけの時計屋さんに行ったとき、ショーウィンドウにアンティークの懐中時計を見つけ、忘れていた気持ちがよみがえりました。
数字の右にゼロが5つは並んでいるけど、買おうと思えば買える。
でも、どうせなら、本当に気に入った物を買いたい。
まあ、そのうち時間ができたら、じっくり探そう。
そんな気持ちもまた、仕事に流され月日も流れ、記憶の底に沈んでいきました。

そして、去年のこと。
弟と金庫の中を整理していたら、箱に入った祖父の懐中時計が出てきました。
箱には覚え書きも入っていて、たぶん母が大事にとっておいたのでしょう。
こんなものがあったのか。
使いたい。。。。w

で。
弟の許可をもらって、私が使わせてもらうことにしました。
「そのかわりに、ばーちゃんのをくれ」といいます。
もちろんいいんだけど。
私はじーちゃん子で、弟はばーちゃん子だったから、それが一番しっくりくるんだろうけど、でも祖父のはちゃんと動くし、祖母のは壊れているし、そのままあげるのは心苦しいので、何万円かかるかもだけど一度オーバーホールに出してみたいと思います。

で、じっくり見てみました。

じーちゃんのは 昭和2年購入のアメリカのWALTHAM社製。覚え書きによると、もとは金の鎖がついていたようだけど、戦争の供出で本体だけが残り、後に別の鎖を買ってつけたとのこと。納品書もあり、母が「興味深い」と書いています。
ばーちゃんのは スイスのUPPER WATCH。女性用なので小ぶりです。鎖もついていますが、錆びています。
弟は「そのままでいい」といいますが、修復の見積だけはしてもらおうと思います。
こういう時計を直せる店は、小樽のような昔ながらの時計店が生き残っている都市じゃないと見つかりそうにないし。

ちなみに、私のステンレス製の懐中時計は、ちゃんと動くし、傷もあまり無かったから、オンラインショップ経由で欲しい方に譲りました。

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