物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

幼なじみ

うーーーーん と数日悩んだ末に 田中孝ちゃんに電話した。
10年くらい前には釧路支社だったけど、その後戻ってきて、年賀状によると遠くない札幌市内に住んでいる。何年ぶりだろう。釧路の時だって一番上の長がついてたし、もうずいぶん偉くなってるんだろうなあ。
久しぶりだね とひとしきりの挨拶の後、
「あのさ、ところで 指導員研修会ってどうしてる?」と本題を切り出した。
「ああ、もう*******いよ。」
「え、そうなの? 登録はどこでやってるの?」
「ずっと小樽だよ」(・_・)/\(・_・)ナカマ!
「前は父親に手続きに行ってもらってたけど、今は納付書で入金してるんだ」そういえば名簿に載ってたっけ(;^_^A
で、ピーーーーーな内輪話をした結果、私が一番きまじめだったことが分かった。
「今はゴルフばっかりなんだ。のざわって覚えてる?彼が病院の事務長やっててさ」
「へえ、じゃあお客さんなんだ」こうちゃんの会社は病院に医療用ガスを納入しているはずだ。
「そうそう。しょっちゅう一緒にゴルフやってるんだ」
そのうち、
「電話では話がつきないから、そのうち遊びに行くよ」という。
うんうん、たしかにそのとおりだ。
「家の前に変な色の車が2台とまってるから、すぐわかるよ」
「今、何に乗ってるの?」
「うーんとね、車はね・・・」あまり言いたくない。つい数日前に、うえすぎ君に「僕に言わせれば2台なんて論外だな」と非難されたトラウマか。でも、言わないと目印にならないよね。。。「うーんとね、今はね プレリュードとCR-Z」
「ホンダが好きなんだね」おお、そうだ、もう10年近く前にこうちゃんが東京出張で会った時にはインテグラで迎えに行ったんだっけ。それを覚えてるんだね。そのときに「のとさんって、そんなに車好きだったっけ?」って言われたっけ。

よく竹馬の友っていうけど、私たちの場合はスキー板だ。
そんなに近所じゃなかったけど、お互いに親が教員だったからよちよち歩きの時から知っていて、なんども組み替えがあったにもかかわらず、小学1年から中学1年までずっと同じクラスだった。高校も同じだったし、大学は違ったけど二人とも北海道から出てきて、私のアパートに遊びに来たこともある。
大人しい性格なのにスキーが好きで、小中学生の冬にはしばしば「一緒に滑らない?1人で滑ってもつまらないんだ」と電話で誘われた。二人でゲレンデに行くと、とにかく滑りまくった。男子だからこうちゃんの方がちょっと上手かったかもだけど、似たようなレベルだったから、一緒に滑ってストレスは無かった。
リフトが終わると、やっと家に帰る。もちろん、家の前まで滑って帰る。こうちゃんの家は、我が家よりずっとスキー場に近くてすぐそこで、そんなときはうらやましかった。
こうちゃんは、小学生の頃に何度か骨折したと記憶する。お母さんにはスキーを禁止された時もあったようだが、隠れて滑っていたらしい。って、隠れてもなにも、帰ってきた板をみれば、滑ったってわかるよね。
いつだったろう、高校2年生の頃かな、なにやら真剣な電話をもらった。
「僕さ、スキーのプロになりたいんだ。のとさんの叔父さんを紹介してもらえないかな。いろいろ話をききたいんだ」
「え・・・あ、そうなの?」そんなにスキーが好きだったのか。。。そこまでとは知らなかった。
「でも、私たちみたいに本格的に競技スキーをやってない人間には難しいんじゃない?」
「それはわかってるんだ」まあ、そりゃそうだろう。
「親には内緒で話をききたいんだ」それもそうだろう。こうちゃんの家は、うちに輪をかけて厳格そうだ。お勉強だって出来ないわけじゃないんだから、世間でいうところのまっとうな人生を歩むだろうと、誰もが見てるはずだ。
電話を切って、私は父に相談した。父は、こうちゃんほどの真面目な男の子がそこまで言うってことは、よほど思い詰めているのだと察したのだろうか、「おまえが恒男に電話してみれ」と、私に連絡をさせた。自分の友達のことは自分でやれ、ってことだね。
当時の叔父は、五輪選手から日本初のレーサープロになっていて、小樽どころか日本に居ることさえ珍しいスケジュールだったが、近々小樽の実家に来るので、その時にと了解してくれた。こうちゃんはとてもラッキーだとおもえた。
当日、こうちゃんに付き添って父の実家である長橋の家へ行き、お話にも付き合った。帰りも2人で一緒に帰ってきた。こうちゃんは、納得したようにみえたけど、内心はどうだったのだろう。

1級はこうちゃんの方が先にとったと記憶する。
準指導員は私の方が1年先にとったはずだ。合格した後の春スキーで、連盟の先輩指導員たち数人で滑る機会があって、大学の春休みでちょうどゲレンデに来ていたこうちゃんにも声をかけて、ロングラインコースをトレインしていたときのこと、最後尾を滑っていたこうちゃんが、家族連れの子供の頭にストックリングを当ててしまったことがある。
それほどの傷もなく、小さなたんこぶが出来た程度なのだが、怪我をさせたには違いない。しかも、その母親の剣幕がすごかった。
こうちゃんと私はトレインから離れ、家族連れとゲレンデでしばし立ち話をして、こうちゃんはお互いの連絡先を交換した。
家に帰る段になって、「のとさん、一緒に家にきてくれないか? のとさんが一緒なら、お母さんにひどく怒られないから」という。そうか、我 防火壁とならん。
小学生の頃には誕生会とかで遊びに行ったことはあったけど、久しぶりにおじゃました。
こうちゃんのお母さんは紅茶とケーキを出してくれたけど、私は、こうちゃんがいつ話を切り出すのか、そればかりが気になって。。。
そんな懐かしい思い出がある。

さて。
会って話すとどんな事が湧いてくるだろう。
忘れていたようなことが出てくるかもしれない。
楽しみでもあり、怖くもありw

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