物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

収穫交換会

小樽の人は、ちょっとした庭があると、なにかしら収穫のありそうなものを植えている。
ナス、キュウリ、トマト、きぬさや、ピーマン、アスパラガス、にんじん、大根、かぼちゃ。。。
親友映子殿の朝里の家では、お盆のころには枝豆が一面になっている。前にちょうどその季節に遊びにいって「いいなあ、私、枝豆大好物なんだ」といったのを彼女は覚えていて、ゆであがったのを2袋くれたのが先月のこと。
しかし我が家は今年、農耕担当者である父が入院していたので、庭の畑にはなにもない。いつもなら、サンダルをちょっとひっかけて出て、さて、何が食べ頃かな、なんてその日の食材を探せるのに。
あるのは、ぶどうだけ。。。
そして。
いまの季節は、どこの家でも秋の味覚がまっさかりだ。
我が庭でも、日曜にぶどうをかりとった。
食器の水切りバットのサイズで3箱もとれたので、親友映子殿や、ケアマネやってる旧姓山田さんに、スーパーの袋いっぱいに詰めてお裾分けした。
そして一昨日は栗だ。
池の脇の置き石のあちこちに転がっているイガを足ではさんで中から大きな実を取り出す。母がもくもくと作業して、スーパーの袋に2つも集めた。
ぶどうも栗も、ほっといても実るのでありがたい(笑)。
栗もさっそく映子殿にお裾分け。
すると「な~に、もうこんなに大きいってかい!? うちのなんて、まだまだこんなだよ」と片手の親指と人差し指で輪を作って言っていた。
同じ小樽なのに、そんなに違うもんか?
まあ、気候や標高のせいではないのだろうが。
ブドウや栗のお返しに映子殿は、プチトマトと大根をくれた。プチトマトは2週間の間に大袋で3回もくれたが、そんなにとれるもんなのか。。。しか も大根も作ってるとは、えらいのう。彼女の家もうち同様そこそこの庭があるが、池やよけいな大石が無いからその分いろいろいっぱい作れるのだろう。

札幌の若い人が、「小樽の人って、家にちょっと庭があると作物を植えている、なぜか?」と言ったことがある。
自分の食い扶持は自分で、という開拓者の気質がいまだに引き継がれているのではないかと想像するのだが。
もちろん札幌もルーツは同様だろうが、都会になりすぎて、いつのまにか昔の風習がとぎれてしまったのではないか。

来年は我が家の庭はどうなるだろう。
もうすぐ元気に退院してくる父が、またいろいろ作ってくれるだろうか。

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