物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

脱走幇助

小樽の済生会病院から札幌医大に転院して10日になる。
父はいつも、ベッドの上にあぐらをかいてすわり、テレビを観たり、新聞を読んだり、食事をしたりしている。たまに2階の売店まで散歩がてらの買い物に行く。ゴミも自分で捨てに行くし、食事を終えた盆も自分で下げに行く。
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校長時代の姿勢の良さもそのままに、一見、まったく健康な老人に見える。
母はいつもの笑顔で「おとーちゃん、来たよ」と声をかけ、ひとしきり報告話をして、しばらくはベッドの横の椅子に座っている。私は、書類だの電話だの詰め所だのと、雑用でばたばたする。見舞いの風景はいつもこうだ。

そんないつもと同じ昨日。
そろそろ帰るかという頃、父はベッドであぐら姿のまま、窓の外にぼーーーっと目をやっている。パジャマの上に着ているジャージの胸ポケットが、昨 日のままに四角く膨らんでいる。実は、入院荷物の中になぜか2カートンもあって、私が最初に来て指摘した時には「置いとけ」と主張していたのが、やっとあ きらめて撤去に承諾した際に、2箱だけはむしりとるように手元に残したうちの1箱だ。
「父さん、そのたばこ、まさかまだ封は切ってないよね」と、こそこそ訊くと、え?と何度も訊き返し、果ては「もっと大きな声で言え」と命令する。しょうがないから、
「そのたばこ、手つけたかい?って言ったんだ。看護婦さんに聞こえたらまずいから、小さい声にしてたんだよ!」とはっきり言うと、父は笑って自分の気持ちが見えたのかといわんばかりに、
「たばこ、すいてぇなあ・・・よしえ、おまえ、車で来てるんだろ?」
「うん」
「どこに停めてるのよ?」ここらでなぜか小声になってきた。
「今日は大学の方にされたよ」
父はあっちかこっちかと、病院の入り口との位置関係を確かめんと、前後左右に指をさす。かなり熱心だ。
「お前の車でそこらを一回りする間、1本だけ吸うかなあ、と思ってよ」
3日前にもそんな計略をもちかけられた。そのときは「だめだ、そんなこと」と叱ったが、今日はもう、好きにさせてやりたい気持ちのほうが強かった。
父娘でなんの相談してるのか、わけわかめの母を尻目に、
「じゃあ、下のジャージも着て。スリッパで出られるところまで車をまわすから。少し時間がかかるよ」と段取り。
大学の駐車場から約束の場所まで車を回すと、すでに火をつけて待っていた。母はその横で「脱走だな」とニヤニヤ笑って立っている。待つ間に、父から計略を知らされたのだろう。
二人を乗せて、2区画ほどを1周。その間に父は1本を堪能し、すっきりした顔になって、病院の裏口から病室に戻っていった。
「玄関で火つけて、外の空気がおいしいって言ってたけど、そうだろうなあと思うよ。あれでしばらくはもつだろう」
後部座席から前に移った母も安心げに笑っていた。

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