物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

地下室でジンギスカン

子供の頃、日曜の夕食は決まってジンギスカンだった。
今夜は何?という問いかけの代わりに、「今夜は何グラム買ってくる?」と、母や私や台所の主である祖母は、父や弟や肉好きな祖父にお伺いを立て相談したものだった。
祖父母を含めた6人家族のうち、肉を食べない祖母を除いた5人で、多い頃にはラム肉を1キロ700g、少ないときで1キロ200gは平らげていた。
昭和でいうと40~50年代のことだから、ジンギスカン肉の調達はもっぱら肉屋だ。それも近所にある住宅街の肉屋ではなく、「街」と呼ぶ市の中心地の繁華街や市場に店を構えて飲食店にも肉を卸すような、大きくて殺風景な肉の専門店まで買いに行った。
当時は肉が安かった。中でも羊肉は牛はもちろん豚よりずっと安かった。マトンは100gで普の50円から上は70円、ラムでも普90円~上110、120円くらいだったと記憶する。
肉屋のガラス戸を開けて中にはいると、生の冷凍肉の臭いがした。ショーケースの奥の作業場には、天井からは切り分けを待つ大きな牛のあばらがぶら下がっていたり、大きなまな板の上には豚らしき肉の大きな固まりが置いてあったりした。
客の入店をみとめた店主は、手についた解体中の肉の血と脂を手ふきでぬぐいながら「いらっしゃい」と注文をとる。私は言い付かったグラム数を注文 し、「少しだけ厚めに切ってください」と付け足す。この店の肉のデフォルトは、私の好みよりやや薄いことをこれまでの経験で知っていた。薄いと、焼いても 鍋にひっついてしまって美味しくないのだ。
店主は、冷蔵庫から、巨大なソーセージのように丸く固められたラム肉の棒を取り出すと、くるんでいた布をはいで電ノコのようなスライサーに置 き、1枚1枚切っていく。しゅーんしゅーんと、まるで大工さんの工具のような音をたてながら、ハムを重ねるように肉が積み上がっていく。最後に切った肉を はかりの上に置き、包みの端には脂肉を添えてくるんでくれるのだ。

そんな習慣も上京してからは無くなった。
たまに帰省すると、ジンギスカンをみんなで囲んだが、それも祖父母が他界し、両親が歳をとるにつれ無くなり鮨だけになった。それに、昔からの肉の 専門店も時代の流れとともに次々廃業し、今ではラム肉を買おうとしたら生協やヨーカドーなど大手スーパーの方が品揃えも豊富で安いという始末。

札幌の有名なジンギスカンも食べた。北海道以外の土地でもジンギスカンを食べた。山形、宮城、東京、などなど。しかし、どれも子供の頃味わった家庭の味のジンギスカンではなかった。
東京のスーパーで初めてラム肉を発見し、思わず買ってしまったのはイトーヨーカドー。ベルのたれも売っていた。以来、自宅でジンギスカンを食べた い時はヨーカドーに行けばいいと思ってきたのだが、いかんせん肉のランクは1種類だけ。選びようがない。それでも、懐かしさが不満を消し去った。

それから20年以上が過ぎて

久しぶりにさいたまのヨーカドーでラム肉を買った。
ここしばらくあまり量を食べなくなっていた自分の胃が心配だったが、ジンギスカンは別だった。高校生の時のように、400gは平気で平らげられた。食後も胃もたれ無し、体調が崩れることも無し。体質に合っているのだろう。
これからは、子供の頃のように、週末はジンギスカンにしようかとまで考えた。

そして 暑気払いに地下室でジンギスカン。

室内に臭いが付くので、できればアウトドアでやりたいもんです。といいながら無精して、ドアと窓開放で空気流しながら室内でやりました(笑)

2人でラム肉940g、もやし2袋、ピーマン1袋、椎茸1パックを消費。

ジンギスカン鍋は、さいたまで購入した「穴無し」タイプ。

実家のは「穴あき」タイプで、焦げ目がおいしそうに付きます。

27857480_191.jpg

たれは「ベルのたれ」(これしか売ってないので選びようがない)です。
涼しい地下室とはいえ、さすがにジンギスカンを食べている時には額に汗をかきました。

でも、普段の座り仕事だと全く汗ばみません。

夏は適度に汗かいたほうが健康にいいと思います。っと汗をかかないで過ごしていると、これでいいのか?と少し不安になって、わざと汗かくために地上に出たりしてます(^_^;。

今日の最高室温は26度でした。

たぶん今年もクーラー無しで大丈夫かな(^_^)

RSS 2.0 | Trackback | Comment

Comments are closed.