普段使い
ここ数年 上質なものを 普段使いにおろすことにしている。
モノは使わないと意味が無い。
貴重だからと大事にしまっておくだけなんて かわいそうだ。
高価安価を問わず 思い入れがあったり 思い出がつまったりしている大切なモノは
大事に日常的に使うことこそ 一番の可愛がりかただと信じる。
そこで。
明珍火箸の風鈴。
これは 札幌の家の頃から窓際に下げて 華麗な音を味わっている。
町田の家は 廊下が煙突のような役割をするのか空気がよく吹き抜けるので
ささやかな風にも りんりんと すがすがしく歌う。
全て母からのもの。
上から 津軽塗の箸箱に入った象牙の夫婦箸。
純銀製のペーパーナイフ。
その下は、30年前にもらって以来愛用してきたペーパーナイフ。
七宝焼きのしおり。
ちなみに、テーブルセンター(敷物)は仙臺平。
夫婦箸だから、母が自分と父のために買ったのだろう。だが、二人が普段使いしているところを見たことが無い。ほんの少し使った気配があるが、その後引き出しの奥に大事にしまったのだろう。
わたしは最初、象牙の箸を使って普段の食事を食べた。
象牙の箸だからといって、特別な料理にだけ使うなんて、私らしくないという意地もあった。
しかし、2、3回もすると、やはり上質のものに使いたくなる。
私も凡人なのだな。と再確認。
純銀製のペーパーナイフは30年ほど前に母が自分用に買い、その下の安価なものを私にくれた。お下がりだったのだろう。母の方が高級なのだろうが、先が丸いのでちょっと使い勝手がよくない。
机上の手近なところに並べてあるのだが、いつも自分用の方に手が伸びる。
七宝焼きのしおりは、それほど高価なものではなさそうだが、デザインが気に入っている。使い勝手も良い。昨年の秋、読みかけの文庫本にはさんでおいたら、10月の引っ越し後にその本がなかなか見つからず、本よりもこのしおりへの愛着から、山積みの段ボールを必死に片付けた。
仙臺平は、さらのまま桐の箱に入ってしまってあった。
弟が仙台の大学だったので、行くたびに母は東北のこけしや独楽などの民芸品、南部鉄瓶などを買っていた。津軽塗もその一つだ。箸箱の他、座卓だの丸盆だの急須台だのがある。
津軽塗の丸盆、急須台、座卓(透明ビニールカバーで保護)。 茶こぼし(銅製)は明治生まれの祖父愛用の品。 茶筒は私の樺細工。母のも別にある。樺細工ものは私と旅行した角館で、裁縫箱や鏡台、小箪笥、お盆などを結婚祝いに買ってくれた。 |
この仙臺平も、そんな買い物の一つなのだろう。弟が要らないというので、私がもらった。
思えば、父も長年、仙臺平の札入れを使っていた。遺品の中の仙臺平の札入れは、角が擦れてほつれるほど使い込んだものだった。簡単に買い換えできるだろうに、きっと弟との思い出があったかなにか、捨てられない理由があったのだろう。
その札入れは葬儀の後、「じぃちゃんの札入れ貰っていい?」と長女の手に渡った。どうやら、幼い頃に千歳空港まで迎えに来てくれた時の駅のホームでの思い出もあるようだ。
他にもいろいろ、普段使いにおろした品がある。
私が先に死んだら、残った弟と長女と次女で相談して好きなモノをもっていってくれw。
あ。
まだ母は存命中だから、私が生きているうちでも老いぼれて使えなくなったら、好きなものを使ってください。
だね。