物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

福島第1原発2号機 で思うこと

10年近くも前になるだろうか。
駐在武官の任を終えて帰国し、市ヶ谷勤務となった友人が
私のアパートにある映画を持参した。
「職場で、一度は観るようにと通達されていた」という。
実話に基づいた映画で、
緊急事態における士官と下士官のあるべき姿を考えさせられるものだという。

映画のタイトルは「K-19」
ご存じの方も多いだろう。
冷戦時に、ソ連の原子力潜水艦K-19で実際に起った放射能事故の話だ。

原子力潜水艦の処女航海中、原子炉の過熱が始まり、
炉心の溶融が避けられない事態に至る。
位置ははニューヨーク沖、わずか400キロ。
一触即発で、世界は核戦争へ間違いなく突入するだろう。
絶対に避けねばならない。
試行錯誤する艦長、副艦長、原子炉担当の技術者たち。
最後に行き着いたのは、高濃度の放射能におかされた場所に
1人ずつ犠牲となって入っていくことだった。

非常に渋い映画です。
観ていて 1回も笑うところがありません。
息が詰まるシーンもありました。
見終わって友人が、「そのときには、部下に死ねといわなくてはならないんです」と
自分が置かれる立場について短く語ったのが心に残りました。

今になって、福島の原発で
万が一 最後の最後には直接、作業員が何かしらせねばならなくなったときに、
この映画と似たようなことがあるのではないかと、非常に懸念する。
それは、自衛官なのだろうか?
それとも、東電職員なのだろうか?
共同作業なのだろうか?

いずれにしても、
K-19の時代とは、装備も医療も雲泥の差で進歩しているだろうが、
飛び込むにはまさに決死、相当の勇気が必要だと思う。

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夜8時過ぎになって、読売オンラインに記事が載った。

やはりK-19の世界だった。

(以下抜粋)

12日午後、高圧になった1号機の格納容器内の蒸気を逃すための弁が開放された。格納容器に亀裂が入る最悪の事態はまぬがれた。その弁を開ける作業にあたった男性は、100ミリ・シーベルト以上の放射線を浴び、吐き気やだるさを訴えて病院へ搬送された。

もともと、この作業では、大量の放射線を浴びる危険があった。このため、1号機の構造に詳しいベテラン社員である当直長が作業を担当。「タイベッ ク」と呼ばれる特殊な全身つなぎ服とマスクを身につけ、手早く弁を開けたが、10分超で一般人が1年に浴びてもいい放射線量の100倍にあたる放射線を浴 びた。

本文は以下のサイト
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110315-OYT1T00701.htm

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