物書きは恥かき

始めより 終わりむつかし ひとの道・・・窓際の凡才ですが おもいきり 生きてます

幸せの黄色いハンカチ

高倉健追悼で テレビ番組のあちこちで出演作品が放送されている。
今日は「幸せの黄色いハンカチ」
何度観ただろう。
でも 回数を追うごとに飽きるどころか感動や共感が深まるのは
人生の深いところを突いている作品だからなのだろう。
その中で今日 ふと自分の歩んできた道と重なったのは、思いを寄せるスーパーのレジ係の倍賞千恵子に、とうとう高倉健が一番気になっていることを訊くシーン。
「あんた 奥さん?」
「いいえ」

もう15年も前になるだろうか。
12月末の朝里スキー場での雪上研修会でのこと。
あまりの吹雪と寒さで休憩を取ったヒュッテで、毎年同じ班になるUさんがふと近づいてきて、
「いま、どうしているの?」と話しかけてきた。
私より1歳年下の、決してハーフじゃ無いんだけど、白系ロシアの末裔風のなかなか見栄えのする風貌で、滑りも巧みで運動神経も良い男性だった。
「俺、まだ独身なんだ。あんたは?」
「だいぶ前に離婚したの」
「じゃあ、今度呑みにいこう」
そして1週間後、小樽運河を見下ろすラウンジでデートすると、呑もうといったくせに全く酒が飲めない人だとわかった。
男って そういうものなのだ、たぶん、だいたいは。
そもそも、名簿で姓が結婚前に戻ったのを見ていて、離婚したらしいことは察していたのだろう。
食事の後、彼の車で郊外へ向かい、キロロの駐車場に駐めて、「お話ししよう」と言った。
彼は、研修会で指導員同士のカップルがうらやましかったことや、自分の結婚観などを話し始めた。

年が明けて1月に、練馬の私のアパートに遊びに来た。
そして、3月には一緒にスイスアルプスを滑走した。同じようなレベルなので、相手に気を遣うことなく自由自在にあちこちのゲレンデを楽しめた。
その後も私が小樽に帰省すると会ったりもしたが、そのうちお互い自然に距離を置くようになっていった。
もしかしたら、スイスに行った次の冬に一緒に天狗山へ行った時、スキー学校の事務所で父にひどくつっけんどんな言い方をされ、それからかもしれない。

今頃どうしてるだろう 小樽の街のあの辺で。

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